作って壊して使い回す農家の知恵

メガしんじょ

2017年05月10日 18:45

女河浦の丘のふもとに昔懐かしいテイストの段々畑が2枚。
それぞれ「浜名湖・自然農法実践合宿セミナー」用、「女河浦の丘自然学校」用に野菜を植え付けたいと思っております。


先人たちの苦労を偲びながら畑を準備しております。
何とか小型トラクターが入れたので、ロータリー掛けはできましたが、新所地区得意の構造改善畑でありませんので、農業用水はありません。

自然農法は、自然由来のミネラル分を重視することから、散水も、水道水より雨水を使うのを推奨していると聞いて、せっかくなので、雨水を集めることにしました。
先人は心得たもので、地主が以前使っていた小屋の屋根には雨水を集めるための樋がついていました。
昨日、雨が降る前に500ℓのタンクを設置し、この屋根が受け止める雨水とトタン板3枚が受ける雨水を集めてためるしくみを作りました。



昨日は夜から夜半まで雨が降りました。5/9の日積算降水量は1mmでした。
今日、朝行ってみると、200ℓのライン近くまでたまっておりました。


5/10も多少降ったかもしれませんが、せいぜい降水量2mm足らずでこれだけたまるということは、
昨年5~12月の8か月で雨の日が66日あって、平均17mm/日だったので、一度雨が降れば500ℓタンクはあふれるということのようです。
どの程度実用性が確保できるか楽しみです。

この「雨水集水システム」は廃材とひもしか使っていないのですが、作っていて子供のころの「基地づくり」を思い出しました。
子供時代の経験は時代と田舎度合いによって違うかと思いますが、「基地」と私が呼ぶものははたしてどの程度一般的なのでしょうか?

新所のようなところの半世紀ほど前は、だれの土地か、などという概念が薄く、人家の周りの手が入っていない荒地は子供が自由に入れる環境でした。
荒地と言っても、中途半端に人の手が入った場所に隣接しているので、意外と子供でも立ち入れる場所がありました。
廃材も簡単に手に入りました。どこから手に入れたのか、独特なところでは浜名湖岸に流れ着いていたものが常にありましたが、主には各自、自宅からくすねてきていたのかもしれません。

そんな環境なので、近所の荒地に数えきれないほど「基地」を作りました。
既存の立木がベースになりますが、屋根はトタンや枝や葉っぱを使えば何とか雨をしのげる程度にはなります。
子供なので、道具は使わず、材料をいかに組み合わせるか、と、いかにひもで固定するかが勝負だったのだと思います。
こどもの作るものなので、ほどなく壊れるか、大人に撤去されたのでしょう。
おかげで過去の基地はすぐ忘れて、すぐ次の新しい基地に取り掛かれるという、今思えばなんと幸せな環境だったか。

一方、本格的に作られた人工物は、いつまでも残るので、長く使えればいいですが、使わなくなってしまうと様々な副作用を生じます。

農業で使うものは、使わなくなったものも極力とっておくのだと先輩農家さんが言われるように、意外とリユースがきくものが多いと感じます。
ある先輩も、業者が作る立派なハウスは、業者の手を借りないと壊せないので、自分で壊せて、材料がそのまま残せるパイプハウスの方が断然使い勝手がいいとアドバイスをくれました。
農業は自然と付き合うから、できるだけ自然の恩恵にあずかれるように、人間側から姿かたちを合わせて自然に歩み寄っていきやすいのだと思います。

また、新所のお年寄りが取り組む農業は、上手に規模縮小していく農業です。
軽トラックに乗らなくなったら、既存のハウスをうまく使いながら、乳母車かセニアカーでクワを運んで栽培できる範囲のものに移行していきます。
最近こういうのが美しいと思うようになりました。

先人は生活コストをできるだけ下げるためにも、自然の恩恵を最大限使いたいという姿勢があったように思います。
自然に合わせるから、多少不便な面もある代わりに得られるコストダウン。
作って壊して使い回すことで得られるコストダウン。
作って壊して使い回せるということはローコストの恩恵もありますが、子供の活動、年寄りの活動をしやすくする懐の深さがあるような気がします。

余分に人工物を増やさない。
既存の人工物はとことん使い倒す。
B級の暮らしだけど、ていねいに暮らす。

こんなB級集落・新所の暮らしを目指していることを
表現して売名するために
「廃材を使った基地づくり大会・年齢別選手権」なんていうのはどうだろうか。

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